2013年5月8日水曜日

親子の縁と切れたタコ糸

※ タイトルは適当です。

よく「子供は親を選べない」と言う。それってどんな意味なんだろう。だらだらと書いてみる。



僕は恐らく世間一般的に言えば恵まれた家庭に産まれ育った。親父は東証一部上場の製薬会社に勤め、恐らく年収は2000万円を超えていただろうと推測する。だからそれが幸せなのか?はよくわからない。

今、僕の大切な親友が悩んでると僕は勝手にまた推測している。何故なら彼は僕とは真逆の人生とまでは言わないが、故親父さんは元ヤクザで、お袋さんは元スナックのママで10年以上前に男を作ってまだ未成年だった妹2人を残して失踪した。今でも僕にはなぜ、こんなにイイ奴の親がそんなことしたのか理解に苦しむ。

まず持って何を何して不幸であるのか?というところすら僕にはよくわからない。なぜなら僕は幸せで、不幸を知らないからなのかも知れない。で、人間にはよく「産みの親」とか「育ての親」とか、僕としては月9のドラマで江口洋介が長男のあのドラマしか思い付かないのだった。ドラマなどではよく、不幸な親から産まれた子供が幸せになっていくストーリーなんてのがお涙頂戴でよく見られる展開だ。それでものりピーは白いクスリに(ry 画像は「親子ジグザグ」だけど気にすんな。

僕はこの親友を「不幸な星の元に産まれた」という色の付いたレンズ越しに見たことはないのだが、もしかしたらこの親友は僕以外の誰かにそういった色眼鏡で見られた事があったのかもしれない。

そんなことなどお構いなく、僕はこの親友を我が家に度々招き入れ、飯を共にし、徹夜で酒を飲み、一緒にエロビデオを観て、みたいなことをしてた。それが彼にどんな影響を与えるかも考えずに。

友よ。もし僕の家庭が眩しく見えたのならすまない。君は昔からどこか冷めた感じで家族を語った。でも、君の母親が蒸発した時、それから働きながら妹たちの生活や学業を金銭的に支えるという君とった妹たちへの行動は紛れもない「愛」だ。君は決して「愛を知らない人間」ではないのだ。

2年くらい前だろうか。彼は結婚した。僕は心から喜んだ。そして彼のことをとても誇りに思った。そしてどうやら最近、自分が親になるということを意識し始めた様だ。僕も彼がどんな父親になるのか今から楽しみだ。

世の中には「完璧な人間」がいないように「完璧な親」なんてのもいない。こんな僕だってちょっと前まで嫁と離婚の話をしていたくらいだ。世の中には「完璧な親」がいないように「自己中な親」もいる。でも、それも残念だけど「親」だ。

最近、デパートのおもちゃ売り場でダダをこねる子供を見たことがあるかい?そうだね。もしかしたらみんなもうAmazonで買っちゃってるのかもしれないね。でも、それにしても最近おもちゃ売り場でダダをこねてる子供を見なくなった。おもちゃをすぐに買い与えてしまうからだよ。そういう親たちは「人前でダダをこねられて親である自分がどう見られるか怖い」んだよ。だから買い与えちゃう。自己中な親だよね。

親である自分がどう思われようとも、子供の理解者、味方になる。君の親父さんは実はそれをしてたんじゃないかとたまに君の親父さんと一緒に飲んだ時の事を思い出す事がある。君は鼻で笑って僕がこんなことを言うのを嫌うかも知れない。「おまえに俺のろくでもない親父の何がわかる?」とか言うかも知れない。でも、僕はなんとなく感じてた。君の名前を呼ぶ親父さんはいつもどこか誇らし気だった。「俺の息子」と。

さぁ、次は君の番だ。切れたタコの糸を新調するんだよ。よろしく頼むよ。

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